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箏という楽器に対するヨーロッパ人の理解を目のあたりにして、これが日本の音楽として理解されるというだけにとどまらず、 日本の楽器が常に世界中の音楽に参加することが出来たらどんなに素晴らしいだろうと思いました。それには世界の音楽家を日 本の音楽に参加させる事がどうしても必要だし、日本人でありながら日本の音楽を知らない多くの日本の音楽家にもあらためて 自分達の音楽について深く考え直して貰うことも是非必要です。ここで音楽家と書きましたが、もっと大きく範囲を広げて言え 総ての日本人にそうあって欲しいと願うのは私だけではないでしょう。1980 一つの出来ことが人にとって善とも悪ともなるのはそれを受けとる人の精神がそのまま写し出された結果なのでしょう、私達 は何時も善に向う精神を養いたいものです。1980 ヨーロッパで演奏して感じる事は、ヨーロッパ人と日本人の音楽を鑑賞する構えの違いです。回本人の場合は、そこに展示さ れた音楽が、自分の趣味、趣向、教養に一致することを強要し、その一致がみられなけれぱ耳を閉ざし、何ものをも聴きと り、理解しようとする努力を放棄してしまうか、また逆に自分の中に共鳴する程の音楽に接した時には、即自分を一段押し上げ て、そこにある音楽より高い位置からそれを評するといった事が多いように思うのです。勿論回本人全部がそうだという訳では ないのですが、私が国内で演奏する場合ふっとそんなことを感じる事があります。ヨーロッパでは、これと反対に自分の趣味、 趣向、教養に一致すれぱ勿論の事例えそれが一致しなくても、その音楽の思想を探り聴きとろうとしている人を多く見かけます。 例えば或る演奏会で終演後、楽屋へ尋ねて来たヨーロッパ人がこんなふうに言っていたのが印象に残っています。「私は現代音楽 は大嫌いです。しかし今日の音楽は大変美しく、感動しました。有難う。」と、皆さんも音楽を聴ぐ場合には、音楽が向うから自 分に合せてやってくる事を期待するより、自分から音楽の方へ近づくという努力を是非して下さい。その結果は、今まで見えな かった、聴えなかった音が皆さん方の音楽の扉を開いてくれる事と思います。また私達は自分が聴衆になった場合、演奏者より 高い位置からその音楽を評するのではなく、演奏者と同じ次元でその音楽を分かち合えたらと思います。1981 私の子供の頃は尺八の音を聴かなかった日は一日もなかった程です。 私は箏の先生が家に来て父や父のお弟子さん達と合奏している時がとても 好きで、合奏が始まると近くにいって熱心に聞き入った−というと大変 カッコイイのですが、実はチンプンカンプン、ちっとも分からなかったのです。 私は大人達が集まっている所にいるのがとても好きだったようです。そこで 演奏されている音楽は全然わからなかったのですが、私には箏の掬い爪が とても印象的で、僅かに上下する手の動きにつれて鳴るサクサクとした一種 の雑音を含んだ音色に音のマジックを感じるようでゾクゾクするような快感を 味わったのを覚えております。後になって先生について箏を勉強するようになり、 初めて掬い爪の技法を教えてもらった時は天にも登る心地でした。この掬い爪 は今でも私の好きな技法の一つで、私の作品の中に多く使用しております。1982 最近、ちょっといい言葉に出会ったので、皆さんにもお伝えしたいと思います。それは「教えるということは、教えかたを習 うことである」という言葉です。或る音楽雑誌を読んでいて目にとまった言葉ですから、皆さんのなかには読まれた方もおられ るのではないかと思いますが、これを読んだ時、私の中で実感という文字が、とても大きな音をたてて響きました。私は言葉の 創造力に乏しいので、時折目にしたり、耳にしたりする言葉に共鳴することがよくあります。日分の言いたいことを言葉にする と、成る程こういうことなんだ、と感心したり、他人の言葉を借りる悔しさをちょっびり味わったりしております。この「教え るということは、教えかたを習うことである」、という文章を目にした時、今迄私が教えてきた時間がいっぺんに逆流してきたよ うな気がしました。あの時はこんな教え方を習った、あの時はこれこれのことを習った、と次から次へと想い出されるのです。 初めて私が箏を教え始めた時は、それ迄に教え方なんてものを習ったこともないし、「白分の演奏に関しては理屈ぬきの反復練習」 にのみで過ごしてきたので自分の演奏法さえ解説出来ない有様でした。それで考えたあげく生徒の真似をすることから始めまし た。つまり演奏のうえで自分と生徒と同じ状態に置いてみたのです。そして次にそれを自分本来の弾き方と比べてみました。そ うすると不思議なことに、生徒の演奏の欠点が、自分の身体を通して解かるようになったのです。こうした方法を繰り返してい くうちに、様々なテクニックについての指導法が身についてきました。また白分の演奏技術についても解説ができるようになっ てきました。 そしていま一つ教える上で難しいのは、生徒の一人一人が持っている音楽性、柔軟性等が違うことにあります。「それぞれの生 徒から最大限の個性ある音楽をひきだすのが指導法の究極ではないでしょうか」、これは手の動きを指導するだけではなく、その 人の持っている音色をじっくり聴きわけながら、指導していかなくてはならないでしょう。皆さんも大いに教え方を習って下さ い。私もこれからまだまだ沢山の教え方を習っていきます。1982 一旦は客席に吸い込まれた、音や声は聴者それぞれの感性によって昇華され、会場の空気を音楽の色に染めていきます。音楽 は演奏する人と聴く人の間に生まれる。1984 昨年の11月から始まった箏曲院創立五周年記念行事としての全国縦断ジョイントリサイタルも全国各地の会員の並々ならぬ努 力のお蔭で非常に大きな成果をあげることが出来、続々と入る開催地からの嬉しい情報に、本当にこのイベントが大きな意味を 持ったことを実感し、それを心から嬉しく思うと共に、皆さんの御協力にどんなに感謝しても及ばない程の気持でいっぱいです。 そして箏曲院に拘る総ての人々が日本の音楽文化の一端を担ったことが、意義深く、私の音楽生活のうえで今、大きな自信に育 ちつつあります。1984 私は永い間古典の良さ、三弦の音の素晴しさを実感することが出来ませんでした。子供の頃から古典も三弦も勉強はしていた のですが、それは箏をするうえの習慣でやっていたのに過ぎず、一応の曲はマスターしたのですが、自分で演奏しては勿論、他 の人の演奏を聴いたり、ラジオの放送を聴いても心を動かされることがなかったのです。芸大在学中もそうでしたし、卒業して からもずっとそうでした。そして私は古典からも三弦からも遠ざかっていき、あとは箏の新しい音楽分野をまっしぐらだった のです。そういう或る時、青木鈴慕氏から、「叔母(太田里子)と一緒に長野市で三曲鑑賞会をするけれども、出来たら演奏を手 伝って欲しい」、と誘われ、横浜の太田先生のお宅に練習に伺ったのですが、そこで出会った先生の音楽の高さに仰天してしまっ たのです。何しろ今迄古典には耳を塞ぐように自分から聴く意志を捨ててきたのですから太田先生の演奏は勿論初めて聴いたの です。しかしその三弦の音の澄みきった奥深さ、一音十僕に込められた音楽の意志と力、またその唄は私の知っている古典の歌 には違いないけれど、今迄知っている「それ」とはまったく質の異る声の張りと説得力に私の心は音をたて、開かれたのです。 1984 これからの日本音楽を少しでも発展させる為には多くの良き指導者を育てるべきであるという観点から、箏曲院では昨年より 合奏ゼミナールを開きました。1985 適度の緊張はその人の演奏を高めるためには無くてはならない大切なものです。1985 近頃私にもチビッ子ファンがふえました。コンサートの後などは小さな子供達が、 色紙、楽譜、楽譜入れなどをもって”サインして下さい”と、やってきます。 これは全くテレビコマーシャルの後遺症ですが子供達に”このサインをどうするの” と聞くと、”学校へ持っていって箏をしているのを皆に自慢するの”と目を キラキラ輝かせて答えてくれました。将来の日本音楽を担う子供達が箏に携わって いることに誇りと自信を持ってくれるということは大変嬉しいことです。私は今 まで子供達に接したことは、ほとんどなかったのですが、このようにして時折 子供達と話をしたりすると、子供というのはなかなか面白い発想というか表現を するようで、先日も或るコンサートの後、例によって子供サイン会を催していたら、 その中の一人が突然”先生はアイドルやなぁ〜”と感嘆の声を発しました。 これには私もびっくり、ギャフンといった感じでしたが、子供達のアイドルになる ということは、やはり箏の将来に明るい兆しがあるような気がして、 有難くアイドルに甘んじることにしました。 最近はワープロが大流行で、書類もメモも大変見やすく読みやすくなり便利になったことは確かですが、これによる、特に若 い人達の筆記離れが心配です。しかもワープロには漢字変換機能が内蔵されていて、ひらがなで打った文字もボタン一つでたち どころに漢字に変換されます。ということは漢字を覚える必要もなく、また折角学校で覚えた漢字も使わない為忘れてしまうと いう結果になり、何十年か後には、もしかして字を書くことが出来るのは書道家とか特殊な職業の人に限られてしまうのではな いか、なんて考えると空恐ろしい気がします。科学の発達によって生活が便利になることは大変嬉しいことですが、それによる 弊害も必ずおこるのです。私達はその部分をしっかり自覚して、文明という洪水に押し流されること無く人間らしく生きたいも のです。1988 |